いけばなの歴史
たくさんのリクエストをいただき、イベント開催を決定しました。

瀬尾理祥がさらりと語る『室町文化といけばなの歴史』
1ドリンクプチおつまみ付き3000円
足利幕府によって華やかな文化が生まれた室町時代、
*いけばなに 興味がある
*ルーツを聞いてみたい
*室町時代などの日本文化がすき
*日本文化を再確認したい方
*ちょいのみがすき
*お花があったら良いなあと感じている人
*シンプル、すっきりが好きな方
会場:寿司ダイニング甚伍朗
奈良~平安時代
花・・・神への依代・仏へのお供えでした。鳥獣戯画の一場面にも登場します。
また、貴族の楽しみでもありました。
花合わせ・歌合、お花見・紅葉狩り、宴などで重宝がられていました。
自然に咲く花を家の中に飾って楽しみたいと思われるようにもなり、花瓶にお花を投げ入れたように自然に生ける「なげいれ」が楽しまれていました。

室町時代
生け花が成立したのは室町時代です。
茶の湯、能楽、書院造りなど、文化芸能が花開いた時代でもあります。
文化の担い手が貴族から武士たちになっていきました。
京都六角堂の僧侶、池坊専慶が武士に招かれ花を挿したことが、池坊は日本最古の流派であり、「池坊の歴史は生け花の歴史」と言われています。
この頃は書院作り床の間の原型である押し板に花瓶が飾られるようになり、たて花が誕生し文阿弥や池坊専応らが名手といわれていました。
そして足利義満・義政によって好まれ、同朋衆に花をいけさせていたとも言われています。
口伝書や花伝書にさまざまな記録が残されています。

戦国時代
安土桃山時代には、豪壮な城郭建築の床の間に飾られる、たて花より立体的で豪華な立花が華麗さを増し、豪華絢爛と、わび・さびという概念が生まれ、「一本いけ」「一輪いけ」「一花一葉」や、茶の湯や千利休もこの頃に世に出ました。

江戸時代
江戸初期
公家・武家・僧侶達の楽しみであり、花の種類も多く巨大な芸術作品も多くの立花師が生まれました。
江戸中期=古流の起こり=
江戸時代になって書院作りから数寄屋造りに変わると床の間が小さくなり、江戸中期にはその場所に合う花として古流の生花様式が生まれる3本の枝で花形…簡素すぎず豪華すぎない枝を生かし宇宙を表現することが特徴であり、大流行することとなるのです。
いけばなは、お客様をもてなすための教養であり、元禄文化のひとつとなります。
貴族・公家・武士(=男子)の文化 から、武家・商家の娘、花魁の教養へと変わっていきます。
(遠州・宏道流・古流・松月堂古流・未生流等 色々な流派により、)生花の概念が生まれ、現在のいけばなにつながる形ができあがりました。

明治・大正・昭和
屋敷には床の間があり床の間には掛け軸と花が飾られ、玄関に花を生けて客人をもてなす様になりました。
西欧の花を用いた盛花など新しい時代のいけばなが創流女学校の正課に取り入れられるなど女性の嗜みという位置づけもされるようになりました。
いけばなの大衆化生花教室の始まりとなります。
大戦後 平成
今までの全てが否定されるような西洋文化が日本に入ってきました。
前衛いけばなが台頭していきました。植物の枠を超えた造形などの作品も発展し、至上主義や華やか・きらびやかな、物の豊かさを求める時代に入り、フラワーアレンジメントやブリザーブドフラワーなど、新たなお花の文化もできてきました
これからのいけばなは?
いけばなとは、花をいけること、そして生かすことだと思います。
そしてこれからは小さく、必要なものだけをいける(つくる)時代になります。
『いけばな』は日本で生まれた伝統文化であり、四季を感じ、楽しむ心、おもてなしの心を育むことができます。
『花との一期一会』により、美しいものを美しいと感じる心の豊かさや、自然が作り出した芸術に触れる花時間を持つことができます。
咲いて終わるまで見て欲しいと思いながらお稽古をしています。
一家に一箇所、笑顔になる・笑顔にできる、季節を感じる花空間を持ちませんか?



